東京地方裁判所 昭和52年(ワ)9101号 判決 1981年9月17日
原告
根本君子
ほか三名
被告
富士火災海上保険株式会社
ほか二名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告根本君子に対し金三三三万三三三四円、同根本栄、同根本賢生、同根本充に対し各金二二二万二二二二円、及び右各金員に対する昭和五二年一〇月二〇日から各支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 保険契約の締結
訴外根本辰雄(以下、訴外辰雄という。)は、昭和五一年一月二四日、被告会社東京支店の代理店である株式会社関東ロータリーとの間で、普通貨物自動車(習志野四四ぬ四五一九、以下、本件車両という。)につき、被保険者を訴外辰雄、自損事故の場合の保険金額を金一〇〇〇万円、保険期間を昭和五一年一月二四日から同五二年一月二四日午後四時までとする等の内容の自家用自動車保険契約(以下、本件保険契約という。)を締結した。
2 事故の発生
訴外辰雄は、昭和五一年九月一一日午後七時二〇分ころ、千葉県市川市稲荷木五七〇番地先京葉高速道路市川インターへの出口付近路上において、本件車両を運転中ハンドル操作を誤り、同車を交通標識灯のコンクリート柱に激突させ、よつて肺挫創、内臓破裂、前胸部及び腹部打撲症等の傷害を受け、翌一二日午前四時五〇分ころ死亡した。
3 保険金請求権
(一) 本件保険約款第二章自損事故条項第一条、第二条、第五条によれば、被保険者の自損事故による死亡に伴い、被保険者の相続人は被告に対し、本件保険契約に基づく死亡保険金金一〇〇〇万円の請求権を取得するものである。
(二) 原告根本君子(以下、原告君子という。)は訴外辰雄の妻、原告根本栄、同根本賢生、同根本充(以下、原告栄、同賢生、同充という。)はいずれも訴外辰雄の子であり、訴外辰雄の本件自損事故による死亡に伴い、右死亡保険金金一〇〇〇万円の請求権を取得した。したがつて、各相続分に応じ、原告君子はその三分の一である金三三三万三三三四円を、原告栄、同賢生、同充はそれぞれ九分の二である金二二二万二二二二円の保険金請求権を取得した。
そこで、被告に対し、原告君子は右保険金金三三三万三三三四円、原告栄、同賢生、同充はそれぞれ右保険金各金二二二万二二二二円、及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五二年一〇月二〇日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3のうち、(一)の本件保険約款により、被保険者の自損事故による死亡に伴い、被保険者の相続人に死亡保険金請求権が発生すること、及び(二)の原告らと訴外辰雄の身分関係が原告ら主張のとおりであることは認め、原告らが被告に対し、死亡保険金合計金一〇〇〇万円の請求権を有することは争う。
三 抗弁
1 本件保険約款第二章自損事故条項第三条に、被告は、被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転しているときに、その本人について生じた傷害については、保険金を支払わない旨の免責規定がある。
2 訴外辰雄は、本件事故当日午後五時ないし六時ころから七時ころまで、空腹時にビール等を飲んでおり、本件事故後一時間を経過した午後八時二〇分ころ、酒臭が強く、顔色が赤く、目の状態は涙目であるなどの徴候があり、北川式飲酒検査方法によると、呼気一リツトル中のアルコール濃度は〇・五ミリグラムであつた。
これから遡算すると、本件事故時である午後七時二〇分ころの呼気一リツトル中のアルコール濃度は〇・七ミリグラム以上であると推認され、アルコールの影響により正常な運転能力に支障を及ぼしている蓋然性はかなり高かつたというべきである。
3 また、本件車両は、京葉高速道路市川インターへの出口の分岐点に設置された黄色の点滅信号機に激突したものであること、その信号機の手前には注意を促すためのゼブラゾーンが相当長い区間にわたつて設置されているにもかかわらず、ゼブラゾーンの終り近くで突然急に左へ進路変更してそのまま信号機に衝突したものであることなど、訴外辰雄の本件事故時の運転操作に照らしてみると、これは通常考えられないような無謀運転というべきであり、酒酔い運転を裏付けるものである。
4 したがつて、本件事故は、被保険者である訴外辰雄が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転している間の事故であるというべきであるから、被保険者について生じた傷害及びその結果としての死亡について、被告に保険金の支払義務はない。
四 抗弁に対する認否及び反論
1 本件保険約款第二章自損事故条項第三条に、被告主張のとおりの免責条項があること、訴外辰雄が本件事故当日午後六時すぎから飲酒したことがあること、は認めるが、訴外辰雄が本件事故当時酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態にあつたことは否認する。
2(一) 訴外辰雄は、本件事故当日午後六時すぎから七時すぎまで勤務先で仕事仲間で飲酒したが、飲酒量は缶ビール一本分程度(約〇・三五リツトル、コツプ二杯弱)にすぎず、酔つてはいなかつた。
(二) 訴外辰雄が飲酒検査を受けたとされる午後八時二〇分ころ、同人は瀕死の重傷のため、病院のベツト上でほとんど意識を失いかかつて苦痛を訴えるだけの状態であり、顔色は青く、酒臭は、医師が訴外辰雄の口もとに鼻を近づけてはじめて気づく程度のものであつた。
このような状態で飲酒検査自体が行われたかどうか甚しく疑問であるが、仮に行われたとしても、訴外辰雄は検査に必要な質問に応答することは不可能であつたし、呼気の測定の際に必要とされるうがいがされたとは考えられず、また、外部的微候に照らしても、検査結果が適正なものとはとうていいえない。
(三) 仮に飲酒検査の結果が適正なものであるとしても、呼気一リツトル中に〇・五ミリグラムのアルコール濃度が検出されたからといつて、直ちに酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で運転したことを推認することはできない。すなわち、呼気一リツトル中のアルコール濃度〇・二五ないし〇・七五ミリグラムの状態は、いわゆる微酔期(第一期)にあたり、その酪酊度については個人により非常に差異がある。
したがつて、他に精神上、生理学上の機能が侵されていることを認めるに足りる明らかな外部的徴表がなければ、酒に酔つて正常な運転ができないおそれのある状態とは認められないのである。
(四) 訴外辰雄の本件事故当時の運転操作から酒酔い運転を推認することはできない。すなわち、訴外辰雄は、連日連夜の重労働で肉体的、精神的に非常に疲労していたうえ、本件事故当日、休日の予定であつた翌日にまた仕事が急に入つたため、工場長として翌日の仕事の段取りについて頭を悩しながら運転しているうち、本件事故現場の分岐点にさしかかつた際、左側へ進路変更すべきところをうつかり直進してしまい、前記信号機近くに至り、左側へ入ろうと急にハンドルを切つたために信号機に衝突したものであり、本件事故は、過労による体調不良、考え込みと同人の性格を反映した乱暴な運転によるものである。
なお、訴外辰雄が本件事故直前まで正常な運転操作をしており、何ら異常は見受けられなかつたことは、本件現場近くで本件車両の後続車の運転者が目撃しているところである。
第三証拠〔略〕
理由
一 請求の原因1(保険契約の締結)及び同2(事故の発生)の事実は当事者間に争いがなく、同3(保険金請求権)のうち、本件保険約款により、被保険者の自損事故による死亡に伴い、被保険者の相続人に死亡保険金請求権が発生すること、及び原告君子が訴外辰雄の妻、同栄、同賢生、同充がいずれも訴外辰雄の子であることは、当事者間に争いがない。
二 そこで、抗弁(酒酔い運転による免責)について判断する。
1 訴外辰雄が本件事故当日午後六時すぎから飲酒をしたことがあることは当事者間に争いがなく、証人水野雄次の証言によれば、訴外辰雄の飲んだ量は、同証人が目撃した範囲では少なくとも缶ビール一本分程度のビールであつたが、それ以上にビールや酒を飲んでいる可能性もあること、当時、訴外辰雄は、休日返上で連続五週間にわたる勤務をし、疲労の重なつた状態で、しかも空腹時の飲酒であつたこと、を認めることができ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
2 成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、第四号証及び証人青柳隆の証言によれば、千葉県警察本部高速道路交通警察隊勤務の青柳隆は、本件事故当日午後八時二〇分ころ、本件現場近くにある福田医院の病室において、訴外辰雄に対し、北川式飲酒検査を実施したこと、その際訴外辰雄はベツト上にいたため、歩行能力、直立能力の見分はできなかつたが、質問には応答できる状態であり、実際に応答したこと、飲酒検知管による検査も通常の方法で行い、その結果、呼気一リツトル中のアルコール濃度は〇・五ミリグラムの値を示したこと、を認めることができる。
原告らは、訴外辰雄の当時の症状に照らして、飲酒検査自体が行われたかどうか甚しく疑問であるし、仮に行われたとしてもとうてい適正な結果とはいえないと主張し、証人福田恵司及び原告根本君子の供述中にも、訴外辰雄の当時の心身の状況からみて、適正な飲酒検査を行うことは困難であつた旨の供述部分があるが、証人福田恵司の証言及び同人作成の調査依頼事項についての回答によれば、訴外辰雄は、問診をすると、複雑な質問には答えられないが、ときにはまともな答え方をしたり、ときには的はずれな答え方をする状態であつたことが認められ、前掲青柳隆の証言とも対比検討してみると、証人福田恵司及び原告根本君子の前記供述部分のみでは、いまだ飲酒検査が適正に行われたとの前記認定を覆すには至らないし、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
そして、前記二1認定の事実及び右認定の事実を併せ考えると、訴外辰雄は、本件事故当時、アルコールによる影響を受けて運転していた蓋然性が相当高かつたものということができる。
3 もつとも、右の点だけから訴外辰雄が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で運転したことを推認することはできないので、訴外辰雄の本件事故当時の運転操作から酒酔い運転の外部的徴表が認められるか否かについて検討する。
成立に争いのない乙第二号証の一ないし八、第三号証の一ないし一〇、証人高橋敏夫及び同立岩道雄の各証言によれば、本件車両は、京葉高速道路の本道と市川インターへの出口に進む側道との分岐点に設置された黄色の点滅信号機に激突したものであること、その信号機の前には注意を促すため、本道と側道との間に相当長い区間(少なくとも七八・二メートル以上)にわたつてゼブラゾーンが設けられているが、本件車両は、右ゼブラゾーンの終り近くに至り突然急に左への進路変更を開始してそのまま信号機に衝突したものであること、進路変更を開始した地点から信号機までの距離は約一六・八メートルであり、本件車両は時速約五〇キロメートルで走行していたので、進路変更開始から衝突までの時間はわずか一秒余りしかなかつたこと、をそれぞれ認めることができ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。
また、証人水野雄次の証言によれば、訴外辰雄は、少くとも一年半位前から、東京都江戸川区篠崎にある勤務先に本件車両を運転して通勤しており、いつも本件事故を起したときと同じ経路によつて市川インターを通つていたことを認めることができる。
そうすると、訴外辰雄にとつて、本件事故現場付近は通い慣れた道路であり、普段なら前記ゼブラゾーンの手前で左に進路変更を行い、市川インターへの出口に進む側道を通つていくはずである。
ところが、事故当時には、前記のとおり、左に進路変更することなく本道を直進し、ゼブラゾーンの終り近くに至り突然急に左への進路変更を開始したものであり、前記のとおり、訴外辰雄が本件事故当時アルコールの影響を受けて運転していた蓋然性が相当高かつたことにかんがみると、前記認定のような疲労の影響があつたとしても、訴外辰雄の右運転操作は、アルコールの影響がなければ考えられないような異常なものであつたといわざるを得ない。
原告は、本件事故は、訴外辰雄の過労による体調不良、考え込み等により生じたものであると主張し、証人水野雄次及び原告根本君子の各供述中にはこれに沿う部分があるが、これらはいずれも単なる推測にすぎず、右認定を覆すに足りるものとはいえないし、他に本件事故がアルコールの影響以外の原因によつて生じた事故であることを窺わせる証拠はない。
なお、証人立岩道雄の証言中には、本件事故前の本件車両の走行状態からは、酒酔い運転によく見られる車の後尾をふつて蛇行するというような特徴は見受けられなかつた旨の証言部分があるが、右の証言が直ちに訴外辰雄が本件事故当時酒に酔つて正常な運転ができない状態にはなかつたことを裏づけるに充分な証拠であるということは困難である。
4 以上1ないし3の事実を総合すると、本件事故は、訴外辰雄が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で本件車両を運転したために生じたものであるというべきである。
5 本件保険約款第二章自損事故条項第三条に、被告は、被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転しているときに、その本人について生じた傷害については保険金を支払わない旨の免責規定があることは当事者間に争いがなく、前記の事実によれば、訴外辰雄が本件車両を運転してひき起した本件事故の場合に右免責規定が適用されることは明らかである。
6 そうだとすれば、被告は、訴外辰雄の相続人である原告らに対し、本件保険契約に基づく死亡保険金の支払義務は負わないことになる。
三 結論
以上の次第で、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 北川弘治 芝田俊文 富田善範)